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ろうばい

私は、一冊の本を手に取る。
時間の進みさえ緩やかになったかのような、静かな古書店で過ごす時間が好きだ。少し古い小説が並ぶ書棚の前に立って、丁寧に保管されて古びた様子を見せない背表紙を眺める。気の向くままに一冊の本を手に取り、開いたページにさらりと目を通した。

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目を惹く書出しであれば手元に携え、そうでなければ元在った場所へ返す。それを数回繰り返して、手元に残った数冊の本を、物静かな店主が座るレジへ持って行く。そうしてレジに向かう途中、立ち並ぶ書棚の合間に見知った顔を見つけた。高校時代の同窓生だった人物が、自分と同じような所作を繰り返しているようだ。
(わざわざ、声を掛ける程の用は無いか。)
私は自分の思考だけで事を完結させ、会計を終えた本を手にして店を出た。

見かけた姿は、田島遥。高校時代、自分と同じ苗字ということもあり、人づてにその存在を知っていた。人と楽しそうに話す様子を、見かける度に眺めていたようにも思える。おそらく声を掛けても厭われはしないと思うが、自分は三年間を通して接点もなく、気の利いた話題を振ることもできそうにない。目が合えば会釈の一つでもできたかもしれないけれど、お互いに手元の本に集中している書店では、その機会も無さそうだ。
人に囲まれるその姿を見てきた身として、気にならないと言えば嘘になる。ただ、その感情が綺麗なものばかりではないことも解っているので、今更積極的に関わろうとすることも難しい。高校時代の自分を振り返ると、それは羨望であり、劣等感にも思えた。
(彼のような人になれたら、なんて思ったこともあったな。)
いずれにせよ、もう昔のことだ。

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目を惹く書出しであれば手元に携え、そうでなければ元在った場所へ返す。何冊目か解らない本を棚に戻した折、視界の端に、見知った人物が書棚の合間を通ったような気がした。私は顔を上げて、その人物が進んだ方向へ振り向く。少しの差だったのだろうか、書店の扉に付けられた小さなベルが鳴って、その人物の退店を知らせた。
(わざわざ、追い掛けるもんじゃないか。)
自分の思考だけで事を完結させ、次の本を手に取って視線を落とした。

見かけた姿は、田島怜。高校時代、自分と同じ苗字ということもあり、人づてにその存在を知っていた。静かに本を読む姿を、度々遠くから眺めていたようにも思える。高校の三年間を通して接点もなく、声を掛けられるような理由も、声を掛けるような理由も無い。目が合えば会釈の一つでもできたかもしれないけれど、お互いに手元の本に集中している書店では、その機会も無さそうだ。
精悍な横顔を見てきた身として、気にならないと言えば嘘になる。ただ、その感情が自分本位なものだと理解しているので、今更積極的に関わろうとして良いものかも解らない。高校時代の自分を振り返ると、それは羨望であり、恋慕に似た好意にも思えた。
(彼のような人になれたら、なんて思ったこともあったな。)
いずれにせよ、もう昔のことだ。

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同じ書店に出入りしているならば、また会うこともあるかもしれない。
挨拶の一つでも、気の利いた一言でも、交わせるようになれたら良い。


20241001
blue

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蝋梅:慈しみ、先見
きっと、あの頃からとっくに好きだった
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