好きという事象を理解するまで
Opinion 1:ある男の主張
物事を分別する際、好き、嫌い、と振り分けることは少なくない。ただ、何かを嫌うことは心を消耗するので、僕はなるべく "嫌いではない" とカテゴライズする。とは言え、何かを好きになることも、酷く心を消耗するのだ。だから、好きにならないよう先回りする。例えば、そのポリシーが誰かを困らせても。
自分の価値観を他者へ押し付けることはしないけれど、この考え方は保身のために身に付いたものなのだろう。そんな話をした。
「勿体ないですね」
しかし、目の前の彼女に言わせると、そんな僕の感情は "勿体ない" そうだ。
「だって、疲れませんか?好きとか嫌いとか、そんな一時的なものに振り回されて」
僕のこんな物言いでも、彼女はにこやかに聞いてくれる。「自分とは違う」と言いながら、続けて「そういう考え方もあるんだね」と微笑んだ。
「私は、その一時的なものに振り回されて、どうにもならない自分が楽しいと思うけど」
「それは、貴女が理性的で、そうなった自分もいずれ制御できるからじゃないですか?」
彼女は沢山のものを好むようだけれど、そんな自身の気質を理解して制しているからだと思う。僕はきっと、そうじゃない。その一時的なものに振り回されて、そのまま自分を見失ってしまう様が想像できてしまう。だから、そんな感情を抱く前から理性的で居なければならない。
「じゃあ、好きな人にはどう接するんです?」
「相手が自分を好んでくれれば喜んで応じますが、
好かれなくても...嫌われても仕方ないとは思うようにしてます」
期待するのも烏滸がましい、と自嘲気味に笑うと、彼女は困ったように苦笑いした。
「何て言うんだろう?勿体ない、うーん...空っぽ?」
その言葉選びはとても彼女らしくて、僕はまた一つ、彼女への感情を飲み込んだ。人を好きになることは、殊更酷く心を消耗するのだ。ふむふむ、と彼女は納得するように頷いて、少しだけ目線を逸らした。目が合わなくなった彼女の顔から、僕も目を逸らす。とは言え視線のやり場は無くて、結局また、彼女の顔を見てしまう。その視線の先で、彼女は口元を大きく動かすことなく呟いた。
「それでも、」
言うか否か、どんな言葉を選べば僕に伝わるか、それらを悩むように少しの間を置いて、彼女は僕の口元を見た。その、視線に迷ったような仕草は、平生は相手の目を見て話す彼女の迷いを、とても顕著に表していた。
「好きすぎて、どうしよう」
言い終えてから、その視線が僕の目を見る。困ったように、それでも少し嬉しそうに微笑む彼女を、僕はどう足掻いてもとっくに好きなのだ。その感情を認識しないよう自制したところで、彼女のような人が、一方的にその枷を取り払っていく。僕なんかのちっぽけな意地は通用しない程好きな彼女に、それでも僕は嘘をつく。その意図が零れてうっかり逸らしてしまった視線の端で、悲しそうな笑みに変わった彼女の表情を捉えながら、僕は更に俯くしかなかった。こうして、僕の心は酷く消耗する。
笑ってくれる彼女が好きなのに、いつか泣かせてしまうことを懸念していた。
だから、どんなに好きでも、その感情に蓋をすることが僕のやり方。
そして、その度に軋む僕の心なんか、誰も知らない。
それが、僕にとって "好き" という事象の全て。
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Opinion 2:ある女の主張
好き、嫌い、それだけで割り切れるものばかりではない。とは言え、何事にも二択を迫られる人生の中で、私はより多くのものを ”好き" にカテゴライズする。それが他者にどう捉えられるかなんて二の次だ。その振る舞いで八方美人と言われることもあるだろうし、自分の好意に戸惑う人も居るだろう。大人になればなる程、好きなものを好きと言うのはとても難しい。それでも、自分が本当に好きなもの、嫌いになりたくないから好きになろうと思うもの、私にはその二択だ。例えば、そのポリシーが誰かを迷わせても。
自分の価値観を他者へ押し付けることはしたくないので、自分にできることは、相手に伝えること、相手の意思を知ること、相手の考えを理解しようとすること。
「好きでいたら、だめですかね」
問い掛けになりきらない語尾で呟いた私に、目の前の彼は困ったように俯いた。ああ、また困らせてしまった。この人は、与えられたら応えてしまう人。それを解っていながらも、自分の想いだけを伝える私は、きっと彼を迷わせる。
「どうしてくれ、とも言わないです。私が好きなだけ...」
回答に悩んでいるのか、先ほどまで合っていた目線が再度合うことは無い。そんな彼を追い討つように、私は私の言葉を重ねる。我ながら自分らしからぬ振る舞いで、自分が何かに焦っていることが解る。だって、彼を好きなのだから仕方ない。
「貴女の考え方も、その...想いも、理解はしています。そう、理解は」
彼が、自身の生き方とは異なる私の主張に、どう返答するべきか逡巡していることは手に取るように解った。こうして彼の選択肢を狭めるように言葉を重ねて、結局また押し付けているのではないかと、さすがの私も後悔している。
「喜んで応じたいのですが、貴女には話しすぎた」
この人は、とても空っぽだ。そう称したのは私だけれど、強ち外れてもいないと思っている。愛情も、執着も、きっと私が欲しがるだけ与えてくれるけれど、それは私が与えることで返されるものである。この人のそういった本質を少なからず知って、それでもなお、私は彼から与えられるものを疑わずに居られるだろうか。
(ああ、そういうことか。)
彼の言うとおり、確かに、私は聞きすぎた。互いに違いすぎる性質と、それでも理解し合いすぎたそれぞれのポリシーが、この感情の行き場を失くさせた。
「それでも良いです」
本当は何も良くないけれど、理解したうえで好意を告げた私は、そう答えるしかない。黙ってしまった彼の視界には入らない場所で、私は少しだけ泣きそうになった。
「だから、こっち、向いて」
聞こえている言葉を無視するような人ではないけれど、彼は顔を上げてくれない。彼の横顔が何を言わんとしているのかは、結局解らないままだった。それでも、この想いを伝えて良かったのか、などと悩んではいけない。押し付けた側の私が悩むのは、とても自分勝手だと思うから。
好きも嫌いも、一時的な感情と言われればそれまでのこと。
一時的だからこそ、その時に伝えて、翻弄されることも醍醐味の一つ。
そして、そんな一時の感情に振り回される私も、彼も、愛しくて堪らない。
それが、私にとって "好き" という事象の全て。
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In summary, …
好きという事象を理解するまで。
20240516
blue
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