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追惜

「忘れる必要は無いんじゃない?
 どんな形の想いであれ、大事なものを失くしたら悲しむものでしょう」
数日前の会話を反芻して、溜息を一つ。

あの頃の僕は、ブログの更新を追うことを止めて、そうすることで僕の中で一区切り付けたつもりで居たのだろう。勝手にブログを眺めていた "だけ" の相手が、その場に現れなくなった "だけ" だと、心のどこかで言い聞かせながら。怖くて見たくない物に蓋をして、目を背けた。今思えば、子どもじみた逃げだったのかもしれない。
過ぎたことだと思いながら、こっそりと何年も蟠りを抱いたまま。誰に言う程のことではないと放置していた思い出が、今になって友人の一言で腑に落ちたのだ。

会いに行こうか。
あの人の記録と、あの人を眺めていた幼い僕の幻に。

追惜


忘れた振りをしておきながら、ブラウザのブックマークにはそのブログが残っていた。未練がましく消すことの無かったそれをクリックする前に、少しの逡巡が指を重くする。一瞬、いっそブログが消えていてくれれば、とさえ思った。

そんな僕の浅はかな思いとは裏腹に、ブログはすんなりと表示された。凝った作りでもない、白と黒だけで構成されたシンプルな画面だ。当時、何度も読み返していた記事は全て削除されており、「タイトルなし」と表示された見出し一つだけが置かれていた。僕はついさっきまでの戸惑いを忘れて、何かに急かされるようにその記事を開く。

[ 私はやっと、とけて消える。 ]

ひと目で読みきれるたった数文字のそれを、反芻するようにじっくりと見つめた。マウスを持った指先と、呆然と開いた唇が、小さく震えている。投稿日時も表示されていないその記事は、いつか誰かに見られることを期待していたのだろうか。もう、真意を問うこともできないのかもしれない。

さようなら、幼い僕が大好きだった人。
何年も経って、僕はようやく、失くしたものを悲しむことができた。


大切なことに気付かせてくれた友人へ状況を伝えるために、僕はスマホを手に取った。メッセージで伝えるには冗長だが、顔を合わせるのも気恥ずかしい。妥協案として電話を掛けることにした。
「あー、先日聞いてもらった...ブログの件なんだけど、」
「ちょっと待って。それ、電話で済まそうと思ってる?」
ご明察である。
その後は続きを話し出す隙も与えられず、熱量のある声で待ち合わせを要望された。

そうして今、僕は指定された喫茶店に入る。
茹だるような外の暑さに抗うように、店内は涼しいくらいの空調のようだ。先に着いて席に座っていた友人の手元には、温かいコーヒーが提供されるところだった。倣うようにブレンドコーヒーを注文して、小さなテーブルを挟んで正面の椅子に腰掛けた。
「...電話が良かったなぁ」
気恥ずかしさを紛らわすように、僕は苦笑いを一つ。運ばれたコーヒーカップを両手で覆うように持ち、目のやり場に困りながらコーヒーの水面を見つめた。

先日、酒の席で話を聞いてもらったことへのお礼と、その後ブログを開いたこと。
残されていた唯一の記事のこと。
今更になって泣いたこと。

じれったい程に言葉の出てこない僕を、友人は急かす様子も無く、一つ一つに耳を傾けてくれた。二人の手元に置かれたコーヒーカップは、もうとっくに湯気も出ていない。
「しかし、ブログ主さんの願いは叶わなかったわね」
ぽつりと零された一言は、僕には真意が解らず、泳いでいた視線を友人に向けた。思考のどこかで、今日初めて目が合ったかもしれない、などと思い浮かべながら。自身のことを話した気恥ずかしさが拭えず、友人の口元を見るように視線を伏せた。友人の口元は、淡い色の口紅に似合わない悪戯めいた笑みを湛えている。
「とけて消えるなんて、無理でしょう。
 少なくとも、きみと私は覚えているんだから」
その言葉は僕の視界を外側から歪めて、僕はまた、飲み干される直前のコーヒーに視線を落とした。顔を上げたら、目が合ったら、涙を堪えていることに気付かれてしまう。
「ああ、本当に、その通りだ」


花に嵐のたとえもあるぞ
『さよなら』だけが人生だ


20240313
blue
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