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得心

彼とはそこそこ長い付き合いであるけれど、何年経っても距離の縮まらない友人であった。とは言え、私にとっては程良い距離感のまま交流が続いているので、面倒な駆け引きも要らない気楽な関係である。丁度良い友人だと感じているし、おそらく彼にとっても、私は丁度良いのだろうと自負している。
私の知る限りでも彼は多くの交流を持っているようだが、誰一人として彼の近くに残っていないことが気掛かりだった。人当たりも良く、立ち居振る舞いに問題がある訳でも無い。顔もそこそこ良いし、稼ぎも安定している。少し頭が良すぎるように思う時もあるが、身内の色目はあるとしても、絵に描いたような真っ当な大人だ。彼の懐に入り込みたいと言う女性を何人も見てきたし、彼自身が望めば、とっくに家庭を持っていても不思議ではない。しかし彼は、親密と言える程の近い距離に人を置かないようだった。それは私に限らず、誰であっても。
長年の疑問は、酒の席で聞いた思い出話によって解かれる。それは、私が彼と出会った頃のことで、彼の口から語られない限りは知る由も無かった話。
そうか、彼はもう、誰にも興味が無いのか。

得心


語られた思い出話は、長年抱いていた彼への印象を裏付けるに足る情報だった。何年も前に消息を絶ったブログ主に、おそらく何らかの思い入れがあって、以来、誰にも踏み込むことができないまま大人になってしまったのではないだろうか。そうであれば、何人もの女性が彼の元から去って行ったのも納得が行く。
「きみは、」
私は、彼へ抱いていた違和感にようやく気付いてしまったけれど、これは言っても良い言葉なのだろうか。彼が現状に困っていないのであれば、ただのお節介になるのではないか。そんな逡巡が、私の唇を震わせた。
「...ごめん、何でもない」
この席で何杯目かも数えていないグラスが、溶けかけた氷と音を鳴らす。離れた席で盛り上がる他人の声が異様に耳に入る程、私たちの席は静かになってしまった。普段であればその静寂が気まずいと思うことは無いけれど、考慮が足りずに言い掛けてしまった言葉を噤んだ私は、少しだけ後ろめたさを感じた。
「言って」
彼らしくない強い言葉に顔を上げると、先ほどまで逸らされていた目と視線が合う。

彼とのやり取りで、発言することがこんなにも恐ろしいことがあっただろうか。今から発する言葉は、お節介かもしれないし、彼を傷つけるかもしれない。ああ、声にする前にもう少し考えて、中途半端に言い掛けもしなければ良かった。
ほんの少しの間に、そんなことを考えた。
「...きみは、もう、誰にも興味が無いんだね」
これまで見たことも無い彼の表情に、後悔と申し訳なさで私の視界が歪んだ。泣きたいのは彼の方だから、私が泣く訳には行かないと解っていたけれど、堪えきれなかったんだ。
「そうかな。そうかもしれないって、今、気付いた」

いつか幸せになってほしいと願っていた。そう願うくらい、大事な友人だと思っている。でも、そんな思い出を隠し持っていたのであれば、私の小さな願いなんて叶うことは無いのかもしれない。
自分勝手な涙を零した私に、彼は困ったように笑う。
「大学の時、喫煙所で声掛けてくれたじゃん?」
「え?ああ、私がきみに?」
手元の小皿に取って置かれたままだった卵焼きを一口二口と食べながら、彼は呟くような小さな声で語り掛けてきた。
「そうそう。あの時は、ダル絡みされたーメンドクセーって思ったけど。
 結局、こんな歳になってまで、一緒に飯食える仲になるとは思わなかったな」
脈絡が無い言葉のように見えて、きっと彼の中では繋がっているのだろう。私が声を掛けたあの頃が、彼が語ってくれた思い出の頃だったのだろうか。そんなタイミングで出会ったにも関わらず、こうして交流が続いているのだから、人生ってやつは意味が解らない。


他愛の無いやり取りをもう少しだけして、程良い時刻に席を立った。蒸し暑さは残るものの、日中の茹だるような暑さは息を潜めたようだ。飲み屋が並ぶ通りは未だに多くの人が行き交っていて、その隙間を縫うように帰途に着く。
「大事な思い出、掘り下げてごめんね」
「そんな大層なものじゃないって。むしろありがとう」
お礼を言われるようなことは何もしていない気もしたけれど、彼がそう言うならば、世辞や嘘ではない。そんな彼の本質を、信じている。
それぞれの家に帰る岐路が近付いて、私は少しだけ歩調を緩める。それに合わせてくれたのか、彼は道端に立ち止まってくれた。とは言え、長く立ち話をするつもりは無い。
「じゃあ、おやすみ」
軽く挨拶を交わして、どちらからともなく歩き出す。振り向いてその背を見送りたいけれど、色恋沙汰でないことは解っているから、しない。

さよならばかりが積み重ねられていく世界で、私ときみは出会った。これまでの沢山の出会いと別れは、いつかきみと別れる時に耐えられるようにと与えられていたのだとしたら、何てお節介で不親切な世界だろう。
そんな節理は知らないまま、知らない振りをして、またきみに会いに行こう。


20240313
blue
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