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羨望

もう何度目かも解らない弱々しい声が僕を責めて、もう何人目かも知らないその人は、僕の返事を待たずに去っていく。もう何度目かも数えていない別れ話は、僕に大した情緒を抱かせる暇も無く終わった。
「ごめんね、さよなら」
出会いには別れがあって、それは一方の意思で充分に成り立ってしまう事象だということに気付いたのは、いつ頃だったか。蔓延する別れの中で、僕はいつも無力だった。


呆れたような、否、呆れた声で、隣の椅子に腰掛けた友人が問う。
「それで、また何も言わずに別れたの?」
小さな声で話されたのは、場所が公共のエントランスだったからなのか、呆れたあまりだったのか、僕には解らない。歯切れ悪くも頷いて返した僕に、友人は溜息をついた。その溜息は明らかに僕へ向けられていて、僕は何かを責められたかのように苛立ちを覚えた。
「大体、何を言えばいいんだよ。勝手に盛り上がって、騒いで、僕を置き去りにした挙句、満足できないと言って去っていく。別れたくないとか、そういう感情を抱く暇も無い」
苛立ちのせいか、言葉を挟ませる間も無く言い切ったけれど。とても主観的で、自分本位な発言だということは、重々理解している。しかし、一方的に好きだの嫌いだの、そちらの方が余程自分本位ではないか。感情に任せてばかりで冷静さに欠けていて、その類の話が面倒で、好きではない。
「じゃあ、そもそも何で付き合っちゃうわけ?最初から振ればいい」
「それは、」
一瞬次の句を言いあぐねたが、それでも何とか言語化を試みる。
「どこかに居るかもしれないだろ。別れられない程の相手が」
死という別れ方すらしたくない、それすらも共にしたいような人が、いつか現れるかもしれない。言語化すればする程、僕も自信が無くなっていく。それでも、自分が人との交際を捨てきれないのは、きっとそういうことだろう。
「ああ...きみ、ロマンチストなんだ」
それも重度の、と付け足して、友人は立ち上がった。

ついさっきまでの夕立は止んでいて、ガラスで誂えられた大きなドアの向こうには、唐突に雲間を割いた夕焼けが差していた。エントランスホールの硬い床に、友人のハイヒールが綺麗な音を響かせる。
「そんな相手と出会えたら、人生バラ色だろうね」
口角を上げて続けられた言葉は、僕を揶揄する訳ではなく、感嘆詞のような溜息と共に囁かれた。その言葉の後、友人は眩しそうに目を細めて、こちらを見遣った。
その眼は、呆れでも揶揄でもなく。

羨望


歩き出した友人の足でドアが開いて、雨上がりで蒸し始めた外気が押し寄せた。思いの外不快なその温度と湿度に、僕は眉をひそめる。
「雨上がりの蒸し暑さって、最悪」
「同意しかないわ」
僕は先ほどの苛立ちが残っていたのか、強い言葉選びをしてしまったことに気付く。しかし、間髪入れずに返された友人の言葉は、僕のそんな呵責を少しだけ軽くした。椅子に腰掛けたままの僕へ振り向いた友人は、心底嫌そうな顔を少しだけ見せて、然程間を置かずに平生の微笑みを取り戻した。
「雨宿り、ありがとうね」
夏らしいとは解っていても、あまりに唐突だった雷雨。僕が住むマンションの近くを歩いていた友人から連絡を受けて、一時しのぎとしてエントランスへ招き入れたという次第だ。夕立であればすぐに止むだろうと思っていたその雨はなかなか降り止まず、結局、最近の出来事を一通り聞いてもらうことになったのだった。
「部屋に入ってもらえば良かった」
タオルの一枚でも貸すべきだったな、と今更になって思い立ったのだから、自分の気遣いの足りなさに頭が痛む。謝る程のことではないと解っていながら、僕は自己弁護をしたかったのか、「ごめん」と呟いた。

僕の小さな呟きを上書きするように、スマホの通知音が鳴り響く。雨に濡れて色合いが変わった鞄から取り出した画面を見遣って、友人は溜息を一つ。
「暇になったんだけど、夕飯でもどう?」
「まだ早くない?」
苦笑いしながら立ち上がった僕の横に、ハイヒールの音が近付く。
どちらの性とも付かないコーディネートが、友人の中性的な顔立ちに映える。こうして隣に並ぶと、僕よりも少し高い位置に顔があるんだな、とか。同じくらいの背丈だから、ヒールの高さのせいか、とか。そこそこ長い付き合いになる友人に、今更な気付きが僕の脳裏に過る。僕は未だに、この友人を "彼" と称すべきなのか "彼女" と称すべきなのか、解っていない。まあ、大した問題ではないので、深く考えたことも無い。
まじまじと見ていた僕に気付いたのか、友人は不思議そうにこちらを見た。


20240313
blue
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