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09. 好きなもの

朝と言うには遅い頃、日の当たる明るい部屋で二つの体が起き上がる。
数日前の大冒険も記憶に新しいが、やはり慣れた場所が一番だ、とファイは心地よさそうに寝転び直した。いつもであれば二度寝を引き留めてくるファイが、珍しく布団の上で過ごす様子を見て、エフもその隣に寝転んでお気に入りの掛け布団を抱える。

(ニケ、元気かなぁ)
エフは隣室でノートパソコンの前に座る人影を気にしながら、控えめな声で呟いた。先日、不安でいっぱいだった二人に明るく声を掛けてくれた犬のぬいぐるみは、然程日を空けずに退院して行った。
(元気だよ、きっと)
あの夜、「わたし、びっくりする程ぼろぼろだったから。綺麗になってから会えて良かったわ」と笑っていた彼女の姿を、ファイも思い出していた。

別室からリビングに戻ってきた男と、退屈そうに欠伸をする女。仕事の合間ではあるようだが、ノートパソコンから目を離し、冷蔵庫の前に立った男に話し掛けた。
「二人の退院祝い、何が良いかな?お寿司?」
「それ、貴女が食べたいだけでしょ」
「いやいや、そんなことあるけど」
楽しそうに笑う男女を見て、家に帰ってきたんだなぁ、とファイは胸を撫でおろす。ずっと緊張していた体がようやく解れたかのように、のんびりと寝返りを打つ。
(帰ってきた感じするね)
エフも同じことを考えていたのか、嬉しそうに呟いた。
会話の合間、女が寝室を見るように顔を向けた仕草に気付いて、油断しきっていたファイは慌てて体を起こした。エフもその様子には気付いたものの、掛け布団に絡まって思うように動けずに居る。女は半開きになっていた寝室のドアを開け、そんな二人を両腕に抱き上げてリビングへ連れ出した。
「ね、君たちもお寿司好きだよね?」
ファイとエフの顔を数回揺らして頷くような仕草をさせて見せる女に、男は、解った解った、と笑いながら頷いた。
(お寿司、美味しいよね)
(うん、好き)
人には知る由も無いが、結果的に満場一致である。

その後、リビングで時折聞こえる楽し気な声に、エフが "お寿司の歌" と名付けたところで、聞き慣れた夕方の放送が鳴り響いた。


休日はびっくりする程動かなくて、大きな液晶画面でゲームをしてばかり。
かと思えば、仕事となると、ノートパソコンを凝視して真面目に働く。
撫でてくる手はとても優しくて、抱き上げる時も大切そうに触れてくる。
こちらの言葉は伝わらないはずなのに話し掛けてくる、何だか不思議な人たち。

(お寿司も好きだけど、この人たちはもっと好き)
言葉にすると少しくすぐったいことを、さらっと言ってのけるファイに、エフは照れ隠しのように、僕も、と小さく呟くだけで返した。しかし、ファイの言葉はそれだけでは留まらず、続いた言葉にエフはすっかり黙ってしまった。
(でも、やっぱりエフが一番好き)
エフは顔を隠す物が手元に無い状況に気付いて、聞こえない振りをして顔を背けた。僕もファイが一番好き、と返したかったけれど、エフには少々ハードルが高い。

≪ピンポーン...≫
「はーい」

来客を告げる電子音には驚かされてばかりのファイとエフであったが、今回ばかりは到着を待ちわびていたかのように、玄関モニターを見上げる。インターホンに応じた男は、受け取ったビニール袋を片手に下げて、いそいそとリビングに戻った。
「お寿司ー!」
(お寿司ー!)
女が歌っていた ”お寿司の歌” もクライマックスを迎え、それに応じるようにエフが小躍りする。しかし、醤油が跳ねると危ないから、という理由でテーブルから少し遠ざけられたエフは、恨めしそうに卓上の醤油を睨むばかりであった。


20230912
blue
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