03. どこかで起きた事件
いつものように体を起こしたが、辺りは薄暗い。夜の暗さではないが、いつもの日当たりが無いようだ。窓の外は、雨。体が重い。
「エフ、起きよう」
ファイの声は、いつもどおり朝を告げてきた。
パンダ車に乗ってみたい。
先日それを見かけて以来、ずっと思っていたことだ。ファイが「悪いことをするとパトカーが迎えに来る」と言っていたことがあるので、クッションを投げたりゴミ箱を倒したりしてみた。けれど、毎回ファイが片付けてしまうせいか、お迎えは来てくれなかった。
パンダ車に乗りたいから片付けなくていいのに、と言うと、ファイは困ったように笑って、大きな液晶画面の電源を入れた。
「パトカーに乗せられる人は、もっともっと悪いことをした人だよ」
≪...を殺害したとして、容疑者を逮捕しました。事件当日、...≫
「さつがい」
画面に映された映像を観ながら、聞き慣れない単語を反復する。パンダ車に乗せられた人の顔は、今日の外のような、ガラス越しの薄暗い映像でよく解らなかった。
「人を殺すことだね」
それは確かに、ゴミ箱を倒すより「もっともっと悪いこと」だった。
悪いことをする人たちは、僕と同じようにパンダ車に乗りたいがために悪いことをするのだろうか。そんな小さな疑問を口にすると、ファイはまた困ったような顔をした。
自分が得をするために、世界で禁止されていることをする人が居ること。
それは、他人を騙したり、物を奪ったり、人を殺したり。
色々な方法があるけれど、どれも「ちつじょ」を守るために禁止されている。
たまに好奇心からそういうことをする人が居るけれど、世界では許されないこと。
ファイの言うことは少し難しかったけれど、僕がパンダ車に乗ることは無いのだと、何となく解った気がした。少し、残念。
画面の映像は少し明るい雰囲気になって、可愛らしいお店が映されている。大勢の人が並ぶ入口と、賑やかな店内の映像。沢山の果物が盛られたケーキを前に微笑み、美味しそうに食べる人たち。
≪SNSで話題のカフェに来ております。こちらのお店では旬のフルーツを使った...≫
「えすえぬえす」
画面に映された映像を観ながら、聞き慣れない単語を反復する。僕たちはご飯を食べることは無いけれど、これはきっと、美味しい物なのだろう。
「楽しいとか嬉しいとか、共有する場所...かな?」
ファイと僕が楽しいと思うことを話すのも、 "えすえぬえす" なのだろうか。ファイは笑って、広い意味ではそうかも?と言う。厳密には違う、ということだろう。
「でも、辛いとか悲しいとか、嫌なことを共有する人も居る」
そんな物をわざわざ他人に共有して、それを見たがる人が居るなんて、世界は物好きの集まりなのだろうか。僕にはよく解らない。
時折見かける、 [バスった] という言葉や [炎上した] という言葉は、SNSで注目されたことを表すようだ。美味しいご飯や、素敵な場所が注目されれば [バズる] だし、悪意のある意見や、悪いことをして注目されれば [炎上する] ということらしい。
燃えるって...何が?という疑問は未だに解決していないが、物好きの集まりで出来ているのがこの世界なのであれば、僕には理解できない謎も多いということだろう。世の中にはいっぱい注目されたいと思う人が居るらしいよ、という、ファイの溜息混じりの声が耳に残った。
朝から降り続けていた雨は止まず、夕方の放送が聞こえる頃には、外は夜のように暗くなっていた。今日は一日中薄暗いせいか、子どもたちの声は聞こえなかった。
その代わり、雨が降る音を知った。
20230831
blue
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