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風前の灯

大切にされていた。
最近の彼の好みにはそぐわない私だったが、彼には相当可愛がってもらった。何年も経って私は随分と汚れ、古び、触れられなくなっても、彼が私を捨てる事はなかった。
でも、ようやく、この時が来た。今日、私は彼に捨てられてしまう。

彼は無言のまま、ただひたすら私を綺麗にしようと体を拭う。まるで、自分が汚したものを最後の最後に慈しむように。

そんな顔しないで。

伝えたいけれど、言葉は無い。ただ黙々と、私を整えてくれる。時折思い出すように、ぽつり、ぽつりと呟く彼の声は、とてもか細くて、静かだった。
「切り捨てられないものばっかりだ」
「でも、何も、のこせない」
「本当に大切だった」
その声は酷く頼りなく、他に誰も居ない部屋で消えていく。
綺麗になった私を懐かしそうに見て、小さなため息と共に手放された。
髪が濡れたのは、拭われた布巾の水滴だったのかしら。彼の涙だったのかしら。

ねぇ、そんな顔しないで。

「本当に全部片付けてから亡くなったのね」
「余命も聞いていたようだから、覚悟はしていたんじゃないかしら」
「随分と若いのに、」

もう、彼には見てもらえないんだと、私には知る由も無い。またいつか、彼に触れてもらえる日を待ちながら。

20230725
blue
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